大学・大学院

 先日、大学で修論発表会があり、最後の発表を終えました。

6年間の集大成を込めてした発表は上手くいくと同時に、思い出が走馬灯のようにこみ上げてきました。この6年間での人・学問との出会いは僕にとって大きな財産です。人生の節目を迎えましたので、この6年間を学業中心に記録として残していきます。

学士課程(2016~)

高校を卒業後、地方理系私立大学に入学しました。今思えば、大学選びは本当に何も考えていなかったかもしれません。

「まわりが大学行くみたいだからとりあえずいくか。」

学業に対する意識は、今の自分とは違い自発性に欠け、受動的な学生でありました。そのようになんとなく生きている自分に嫌気がさしていました。有名大学に行きたいという願望はなく(学力も及ばず)
大学を選んだ理由は

①理系科目が得意だった。
②漠然と教師になることを目指していた。
③家から近かった。

という短絡的な動機です。

「一応勉強は続けておこう。」と勉強の意義がわからないまま、とりあえず学業は取り組んでおりました。学科で首席・授業料全額免除の資格を得たりもしましたが、いつしか勉強する目的が学費免除のためで、本来の学業の目的とはかけ離れたものになってました。今振り返れば大問題です。ただ、ニュートンの運動方程式・maxwellの方程式・相対性理論・量子力学・統計力学など学んでいても実生活で活きることなんて全くないですよね。当時の自分には学問の必要性がこれっぽっちもわかりませんでした。


そんな中で、学部2年次に参加した、ある講演会でターニングポイントを迎えます。物理が医療に応用されている研究分野(医学物理)についての説明を聞き、学んでいることが実際にどのように応用されているのか想像することが出来ました。また物理は様々な分野(今回であれば医療)に結びついていることにも興味を持つようになります。学んだことがどこかで人助けに繋がる。綺麗ごとではありますが、僕にとって学問と実社会が結びついた瞬間でもありました。この講演を聞いている間、僕の体に電流が流れ、やっと毎日の学業に身が入るようになるのです。

この日から医学物理の中でも放射線治療に関して興味を持ち、周辺分野である放射線治療物理・放射線物理・原子核物理・放射線測定なども徹底的に学びました。大学のメディアセンターに毎日21:00まで入り浸り、学問に熱中。大学4年から始まる卒業研究では、この分野に関わる研究をしたい思い、どのような研究室があるかを調べている最中に、「本大学では連携大学院制度が使用できる」ことを知りました。連携大学院制度は学部4年から研究機関で研究を行わせてもらい、大学とは離れた環境に身をおくことが出来ます。ただし枠があります。私はQST/NIRS(量子科学技術研究開発機構 /放射線医学総合研究所)で研究をするために成績をキープしつつ、医学物理に関する勉強を網羅的に取り組もうと決心しました。自分のやりたいことに向けて勉強するという感覚は今までに味わったことがなく、刺激的な毎日を送っていくのです。

無事連携大学院生の枠を獲得しました。学部4年からQST/NIRSでの研究生活がスタートし、環境がガラリと変わります。QSTで研究が始まるとすぐにに横浜で開催された国際学会にオーディエンスとして参加させていただきました。世界トップレベルの研究を目の当たりにし、ここで僕はある目標を立てるのです。

「2年後、ここで発表者として登壇する。」

2年間研究活動をするのであれば、自分自身の研究を世に残したい。こんな思いから目標を立てました。



学会後に本格的に研究活動が開始しました。研究機関における研究活動は想像よりもはるかに僕を苦しめ、生半可な気持ちで取り組めるものではありませんでした。毎日顔を合わせるのは自分より一回りも二回りも年上の研究者か先輩。学部3年までのような楽しいといった雰囲気は全くなく、殺伐とした空気に順応するのが大変でした。指導教官も教員ではないので、教育熱心ということはなく、何もしないとほっておかれるし、わからないことがあれば自分で打開していく必要がありました。深夜実験から論文輪読会など新しいことがたくさんあって、一つ一つをものにしていくので精一杯です。研究は本当に難しく、基礎・基盤がないとまともに議論に参加することが出来ません。学部四年の時は議論から置いていかれることがしょっちゅうありました。一方で、レベルの高い環境に身を置くことが出来たことは本当に良かったと思っています。自分の当たり前の基準が上がるし、課題がたくさん出てきます。学部四年のうちは他大学院の優秀な先輩方や、世界トップレベルの研究者達に圧倒される毎日を送っていきました。




この辺でやっと勉強の意義を言葉で表せるようになりました。今までの勉強は様々な社会課題や問題を解決するためのとび道具だと考えております。一夜漬けで覚えた知識は研究のどこかに繋がっているし、ある問題をどのように対処していくかの思考力は学問を通して得るものです。自分の考えを的確に伝えるためには言語が必要です。また多様な方々とコミュニケーションを取るには社会的な知識・教養も必要です。外国人研究者とは母国について話すことが多くありました。私よりも日本を熟知している外国人と話したときは、自分の無知を恨みました。もう少し早く気づきたかった。今まで学業を軽視してきた過去の自分にビンタして目を覚ませと言いたいところです。






修士課程(2020~)

院試に合格し、大学院生になりました。
同期の友達は皆卒業していき、僕だけ取り残された感はありましたね。少し寂しさや金銭面の焦りはありましたが目標の為ならどんなことでも頑張れました。学部の頃よりは少しずつ議論に参加し、自分の意見を伝えられるようになった気がします。やっとスタートラインに立てたのです。

大学院での研究はコロナの影響をもろに受けました。日々の会議・学生ゼミは全てオンライン。実験はやっていましたが、日数を制限されたり思うようにできない。。。ただコロナを研究が進まない理由にはしたくありませんでした。毎日さぼらずに解析しては報告を繰り返しました。解析のために独学でプログラムを学び、今では簡単なアプリを作れるレベルには達しました。学部の時は難しいと思っていたことでも、今考えると大したことではなく、独学で得たスキルを習得したことで自信にもなりました。


修士課程で研究者の方々の凄さを改めて実感しました。彼らの努力量・思考力には頭が上がりません。年に何本も論文に投稿している優秀な研究者は皆圧倒的な量をやっています。「効率が大事だよ」と言う前に圧倒的な量をやるから質が向上するのです。クリスマス・年末など世間が幸せムードの中、研究をしている方々がほとんどでした。そして彼らは絶対に人のせいにしません。問題があればどう解決できるか、常に未来に目を向け自分の力で解決していくのです。抜きに出た努力によって内から自信に満ち溢れている研究者達が本当に憧れの存在でした。自分もいつか彼らのようなかっこいい上司になります。

研究自体はうまく進んでいき、修士2年の4月に学会に参加することが決まります。二年越しの目標を叶えることが出来るとわかった時は嬉しかったです。ただ喜んでいる暇はなく、演題採択後から、発表に向けて本腰を入れ準備を進めていきました。就職活動と同時期で大変でしたが、二年前に立てた目標の為なら乗り越えることが出来ました。

2021/4/16、日本医学物理学会のインターナショナルセッションに登壇しました。発表は質疑応答含め英語で、緊張で押しつぶされそうになったことを鮮明に覚えています。なんとか拙い英語で無事発表を終えます。

発表後、指導教官から「良かったよ」の一言。この瞬間だけは一生忘れません。普段絶対に褒めない方から言われた言葉は心に刺さりました。今まで頑張ってきたからこそ、言葉の重みを味わうことが出来たのです。そして、大会長賞シルバーと学生奨励賞を受賞しました。発表するだけではなく、結果が得られたことは教官の一言の次に嬉しかったです。

学会発表後は着々と研究を進めていき、最後に修士論文を書き上げ、学生生活は終了しました。この六年間、意味のないことはなかったと思います。最後までやりたいことをやらせてくれた両親の存在には感謝してもしきれません。

社会人になったら研究とは少し離れたことをやると思いますが、継続して論文投稿活動は続けます。幸いなことに研究者の方々とは大学を卒業してからも関係性を続けていただけることになりました。働いてからも大学・大学院で得た力を糧として最大限に活かしていきたいです。また将来何か壁にぶつかることがあれば、この投稿を見直して自分自身を奮い立たせたいと思います。


Presentation



↑President Award Ceremony (121th JRC)


2022/5/7追記
業績が評価され、大学院の学費が半額免除になりました。結果は後からついてくるものです。これからも少しくらい苦しい時があっても、ぐっとこらえて頑張ります。






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